映画「八甲田山」を見たのはいつのころだっただろうか?精神が崩壊し裸で雪の中を走りだす兵士,ルートを見失った200人が猛吹雪の中立ち往生するシーンは衝撃的だった・・・
今回の山行に寄せる私のイメージに,かき消そうとしてもこのシーンが何度となく浮かんできた。記録的な大雪が日本列島を襲う最中,Tの発案により「大休峠夜間雪中行軍」にYCCのメンバーと果敢に挑んできた。
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大休峠避難小屋での鴨鍋! |
①日時:2014.2.10(月)~2.11(火)
②行先:大休峠・野田ヶ山
③メンバー:T,Y,N,Mt,Mk
④行動記録1日目:
(先発隊行動記録)
香取上部(15:40)→甲川分岐(18:30)→大谷通過(21:00)→後発隊と合流(22:10)→大休峠(22:30)
(後発隊行動記録)
香取上部(20:10)→甲川分岐(21:00)→大谷通過(21:50)→先発隊と合流(22:10)→大休峠(22:30)
行動記録2日目:
大休峠(9:10)→野田ヶ山ピーク(10:10)→大谷(11:10)→岩伏別れ(12:20)→草谷(14:20)
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埋まった小屋の前で出発! |
⑤行動概況:
YCCの備品より無線機を各自に配られる。仕事が終わって駈けつけるメンバーと2隊編成でお互い状況を無線で確認しながら大休峠を目指す。先発隊3人が深く厳しいラッセルを交代しながら進んで行くが,甲川分岐を過ぎたあたりからは,ほとんどTの先陣で進むことになる。このころから視界を狭める闇夜が体力と気力を奪っていく感じがした。気温は下がり続けオーバーグローブの指先は何度も感覚を失うこともあった。体力が奪われると心が折れ,注意力や細かい気配りが億劫になってくる。先陣のラッセルでぐいぐい引っ張るつもりで参加していたが,Tの後塵を拝する結果となり申し訳ない気持ちで情けなくなった。しかし私の不甲斐なさとはとってかわり,後発隊の行動は勇ましく頼もしかった。先発隊の出発から4時間半後の出発であったが,間の距離をどんどん縮めてくる。ついには大谷を過ぎたあたりで合流してきた。N,Mtの狙い通り先発隊と合流して,雪に沈んだ大休峠避難小屋の掘り起こしを一緒にしたいと言う計画が見事に実現した。
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野田のピーク |
避難小屋では,Yに「1ヶ月分のネギを1日で食べた気がした」と言わしめた鴨鍋を雪を溶かして味わい,互いの健闘をネギらった。胃袋が温まると心体が温まり,このメンバーで念願の鴨鍋パーティーが出来たことに心から感謝した。翌朝は,野ネズミが小屋を駆けずり回る音で目が覚め,残った出汁にうどんとネギを入れて食べ,出発準備をする。なぜだか全員のブーツから,おつまみのピーナッツが多数発見される。おそらく野ネズミが食料の貯蔵に隠したものと思われる。
楽しかった小屋を後にし,ピークに近づくにつれ吹雪いてくる風を裂きながら,厳しいラッセルで野田ヶ山のピークに立つ。大谷の下部までTはスキーで滑りながら,私はスキーを履いたまま転倒し,Yに助けられながらたどり着く。ここからは,N,Mtのリードのラッセルで,岩伏別れから草谷に通じる尾根沿いに歩き,終点の草谷にたどり着いた。
いつも感じることだがYCCの山行はとても厳しい。しかし,その厳しさに挑めるのも,YCCのパーティーには,体力,装備,リーダーシップの全てが備わっているからだと思う。
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中国自然歩道を草谷へ |
Yの優しい気遣いに何度も助けられ,Nの冷静な判断力に道なき道を導かれ,若きエースMtの行動力に励まされ,何よりも計画を絶対に達成させるTの山への気迫を感じさせて頂いた。もし,叶うなら来年の大休峠は若手だけでラッセルし,先輩方を連れて行けるように登山力を鍛えようと思う。このブログをご覧の若き登山家も,自分の能力を存分に発揮できるYCCに入会し,来年は一緒に行ってみるのはどうだろうか?最後に,今回もまた素晴らしい山行となったことを,同行させていただいたメンバーに心より感謝いたします。