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矢筈源流熊谷の登攀の歴史は,30数年前に矢筈源流「赤滝の谷」の上部で山岳遭難があり,私たちと八橋署員が入谷したのが始まりです。当時の谷は,F1,F2,F3とも登山靴で登った。F1とF2間の瀞もなく簡単に登れ,甲ヶ山ダイレクトスラブを登攀し,半分位の所から甲ヶ山下部への岩溝を伝い捜索を行った。60年代の再チャレンジではF1は高くなり,F2間に瀞ができており,格段に難しくなっていた。このとき初めて甲ヶ山ダイレクトスラブを登り切った。
この度の登攀に際して一昨年の雨台風でどのように変化してるか興味津々であったが,F1は滝の落ち口が崩壊し低くなっている。快適なのはこの辺りまで |
F2の手前の瀞は,上部からの土石流により岩石で埋まっている。F2のなめ滝は表面が削られてホールド・スタンスがない状態になっている。4年前よりF2は難しくなっている。F2とF3間の岩溝とF3が消失している。その辺り一帯は泥岩の岩盤が露出している。登攀最後の過酷な藪漕ぎは,矢筈ヶ山側を登り,一般登山コースに出るべき所を,船上山側を登ったため今までの最長の藪漕ぎを甲ヶ山頂上までしたことが反省として残った。反省点のもう一つは炎天下における水の補給に失敗したことであった。
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